NVCミディエーション合宿に参加しました

9月上旬に京都で行われた「NVCミディエーション合宿」に参加した。

私たちが普段行っているコミュニケーションでは、正しい/間違い、プラス評価や報償/マイナス評価や制裁、で相手を動かそうとする。これに対して、NVC(非暴力コミュニケーション)は、正しい/間違いに固執せず、私の/あなたの中で何が生き生きと息づいているか、何が私の/あなたの人生を素晴らしいものにするか、を大切にする。

ふだん私たちは、自分や他人に評価・判断を下し、「こんなこともできないなんて私が悪い」「こんな結果が生じたのはあの人のせいだ」と自責又は他責する。このような「普通の」コミュニケーションのあり方をNVCの価値観では「懲罰的コミュニケーション」と呼ぶ。私が仕事をしている司法の世界などは、日々「懲罰的コミュニケーション」を駆使して成り立っていると言える。

NVCが面白いのは、他人の言動は私の感情の「刺激」にはなっても、私の感情の「原因」にはならない、と把握するところにある。例えば、誰かが待ち合わせに10分遅刻し、私が「この人はなんてルーズな人だろう」と思い、イライラしたとする。しかし、他人の遅刻はイライラの「原因」ではない。私には、「時間を有効に使いたい」「相手とお互いに尊重しあいたい」「相手を信頼したい」というニーズがあった。それがみたされないからイライラしているのだ、と考える。「感情」の原因は、私の何らかの「ニーズ」である。ニーズがみたされないときはネガティブな感情となるし、ニーズがみたされたときはポジティブな感情となる。私の感情の責任は他人ではなく私にある。同時に、他人の感情の責任は私にはない。私が他人の感情の責任を引き受ける必要はないのだ。

様々な評価・判断の背後には「感情」があり、感情の背後には「ニーズ」がある。正/不正の判断は一旦わきに置いて、自分の感情や相手の感情を味わい、どのニーズがみたされているから/みたされていないから「感情」が生じるのかを理解する。そして自分のニーズや相手のニーズに共感し、必要に応じてニーズをみたす行動を相手に「リクエスト」する。

上記のようなNVCの考え方を活用し、夫婦喧嘩から、会社や組織内部の意思決定はもちろん、民族紛争・国際紛争まで、あらゆる紛争当事者のニーズに着目し、調停(ミディエーション)を行うのがNVCミディエーションである。

合宿では、2泊3日で4回のミディエーションの練習(体験)を実施。4人1組になり、調停者役、紛争当事者役(2名)、オブザーバー役を決めて、ぐるぐる役割を回していく。全員がすべての役割を体験し、感情を味わう。

最初は2泊3日が長く感じ、また模擬とはいえ紛争の渦中に身を置くこともストレスで、さっさと帰ろうかな、とすら思っていた。しかし回を重ねるごとに、もっとミディエーションを体験したい、と時間が足りない思いになった。

NVC調停では、紛争当事者の、怒り、いらだち、不満、の言葉を、「ニーズ」に翻訳してその場に提示することが課題となる。

ミディエーションの練習を通し、恋人同士のけんかであれ、職場での行き違いであれ、ご近所のもめごとであれ、双方の当事者のニーズは、実のところ驚くほどに似通っていることが分かった。

お互いの言い分を聞き、感情を味わい、ニーズに耳を傾けてみると、自分の話が相手に理解されていない、相手が何を考えているのかわからない・・・という、「理解すること・されること」のニーズが、ほぼ必ず飛び出してくる。

お互い「尊重が大切」「理解が大切」という一致点までは、意外と容易に到達する。しかしそこからが大変で、「理解が大切」という言葉で表面的に一致したとしても、そこから先に進むには一工夫要ることが多い。「理解が大切」という言葉は、「自分は全然理解されていないし、むしろ一方的に非難されている」という不満の文脈で飛び出してくることが多い。そうすると、「Aさんは理解が大切だとおっしゃっています。」とストレートにBさんに伝えたとしても、Bさんは必ずしもその言葉を素直に受けいれることができない。「それは私が無理解だということですか?!」と、「自分が非難されている」という自責/他責の言葉として受け取ってしまいがちである。

お互いに「理解が大切」と言い合って平行線になる時は、「理解してもらえた時は、どういう感じがしますか」などとさらに掘り下げたり、身体感覚を尋ねてみたりするとよい。そうすると、「リラックス」「尊重」「安心」など、より奥にあるニーズが湧き出してきたりする。

人の感情、願い、ニーズ、大切なものごと、に耳を傾け、語る人の様子を観察する。語っている相手の言葉や表情に反応してしまうときは、相手の言動が刺激となって表れてくる私自身の感情を味わう。「私は焦って、体がこわばって、呼吸が浅くなっているな。深呼吸しようか。私がいま焦っているのは、この会話では、相手との『意思疎通』『相互理解』のニーズが満たされていないからなのか。それとも、相手の口調が強くて、私の『選択』『スペース』のニーズが満たされていないからなのか。」などと自分のニーズを探り出す。このような過程で、人のニーズのあり方の不思議を探求できたのも収穫だった。

調停役(ミディエーター)の「自己共感」がやはり大切。当事者役の感情に対して反応的になっている自分に気づくのが出発点。そして、当事者役が感情的になっている時こそ、当事者のニーズが発見できる、とわくわくして受け止めることが大切だということも学んだ。とはいえ私はなかなかわくわくできず、相手が感情的になると私もキレ返したくなることがしばしばであったが。感情的になっている人に「思いを率直に表現してくださってありがとうございます。いま、とても大事なことが出てきているように思います。」と投げかけてみるという他の参加者の技を見学できたのもよかった。

2泊3日の合宿を終え、NVCの技法が上達したかどうかは、よくわからない。しかし、「この人の意見や意向には共感できないな」と思う時でも、「この人は、今何を感じているのだろうか。その奥にあるニーズは何なのだろうか。」と受け止めるようになったとは思う。耳で聞くのではなく、全身で聞く、そして私の身体だけではなく「場」で聞く、ということも、おぼろげに理解できるようになってきた。

今回ミディエーションのトレーニングを受けるまでは、NVCの技法を自分が効果的に使えるようになるとは、とても思えなかった。マーシャル・B・ローゼンバーグ『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法(新版)』(日経BP、2018年)の様々なNVC対話の実例を読んでも、「こんなワザは自分にはとても使えない」と思っていた。しかし、合宿に参加してからこの本を再読すると、紹介されているやり取りが心にすっとしみこんでくるのを感じた。

弁護士は紛争の一方当事者を支援する仕事なので、仕事のスタイルは、「私の主張が正しい。私の要求に従え。要求に従わなければ法的手段を取る。」という典型的な「懲罰的コミュニケーション」になりがちであるし、また権利擁護のために強く権利・正義を主張することは大切だとも思う。

しかし、正義や権利の主張と同時に、今ここで何が息づいているだろうか、何をすることがあなたの/私の人生を素晴らしいものにするだろうか、と問うことは、質の高い紛争解決を実現するために、とても大切なことだと思う。日々の仕事や活動の場で、NVCの価値観を生かしていきたいと願っている。

この記事を書いた人

伊藤 朝日太郎